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実録馬券裁判(1)

実録馬券裁判(1)     弁護士中村和洋

第1 プロローグ

1 まったくの飛びこみで

 2011年1月下旬,藤原俊之さん(仮名)は,私が当時勤務していた大阪のある法律事務所に,相談のため訪れた。私はそれまで藤原さんとはまったく面識がなかったが,なぜか私を指名しての相談の依頼だった。

 藤原さんは,当時37歳。中肉中背,一見どこにでもいそうなふつうの男性だ。

 職業はごく一般的な会社員。

 話しかたは穏やかだったが,ムダのない理路整然とした説明からは,優秀な頭脳の持ち主であることがうかがわれた。

 後になって,私は藤原さんが競馬のデータ分析と予想システムの構築について天才的な技能を有していることを知った。しかし,その外見はとてもギャンブラーという雰囲気はない。強いていえば,若手の研究者か,学校の先生(実際の職業はそのいずれでもないが)。

 この藤原さんとの出会いが,その後,世間を大きく騒がせる競馬と課税についての裁判への入口となった。

 さて,私は,検察官を退職したいわゆる「ヤメ検」弁護士だ。

 2012年9月に独立するまでは,弁護士20名以上が所属する共同事務所に勤めており,このときもまだその事務所に在籍していた。

 その前,検察庁には10年間いたが,うち3年間は大阪法務局に出向して訟務検事をしていた。訟務検事とは,国の代理人として税務訴訟などの行政裁判や,国家賠償などの民事裁判を担当する法律家だ。

 訟務の経験から,私はとくに「税法」という法律に強い興味をもっていた。

 税法は法律と経済そして会計が交錯する分野であり,その条文は技術的で複雑多岐にわたっている。

 また,経済の発展や政府の方針とも大きく関わりをもつため,改正も多く解釈上問題となる場面が多い。

 それにもかかわらず,実務では,国税当局が,自分たちの都合で決めた「通達」に依拠して時に独断的な解釈をおこなっている。「通達」は「法律」ではなく,本来国民にたいする拘束力がないにもかかわらず。これが,いわゆる「通達行政」の弊害だ。

 しかし,それを是正しようとしても,本来その職責を負うべき法律家の弁護士のなかに,税法の分野にくわしい人はまだ少ない。

 他方,税理士は税務の専門家だが法律家ではなく,国税当局に監督されている立場でもある。そのため,不服申し立て等を通じて国税当局と正面から争い,解釈論を戦わせることができる人は少ない。

 このように税法の実務は問題が多いにもかかわらず,それを正すための専門家が,日本にはまだ少ないのだ。

 国税当局による独断的な税法解釈によって,本来救済されるべき納税者が助けられていないのではないか。

 私は,税務の分野で,ゆがんだ通達行政を是正し納税者の力になりたいという理想をもっていた。そのための研鑽のひとつとして,所属していた事務所内部の勉強会や顧問先相手のセミナーで,弁護士と税務事件の問題について取り上げたことがあった。そして,その講義録の一部を記事として,事務所のホームページにひっそりとアップしていた。

 藤原さんは,たまたまホームページのその記事を見たそうだ。それで,私に連絡をしてきた。まったくの飛びこみであった。

 

2 ・・・それホンマの話ですか?

 はじめて藤原さんに会ったときのことは,いまでもほんとうによく覚えている。

 その口から出た相談の内容はあまりに意外で衝撃的であり,最初は信じることができなかった。

 藤原さんは,ある市販の競馬の予想ソフトをカスタマイズして,過去の競馬のデータを分析した結果にもとづいた独自の予想のためのシステムを構築し,日本中央競馬会(JRA)が主催するほぼすべてのレースを毎週,継続的に買いつづけてきた,とのことだった。

 そして,過去5年間,馬券の払戻金は,毎年黒字の成績で,合計で一億数千万円の純利益を得た。

 しかし,2010春,なんの前触れもなく,突然,大阪国税局の査察部門の担当者らが藤原さんの自宅に調査に訪れた。

 一年近くその調査を受けた結果,国税局の見解においては,はずれ馬券はいっさい必要経費として認められないとされた。そして,実際に得た利益よりはるかに多額の約六億円あまりを納税するように言われたとのことであった。さらに,検察庁にも刑事事件として告発される,という。

 弁護士は,どんな内容でも依頼者の話をまずは信用して聞くべきとされている。しかし私は,つい,

「……それ,ホンマの話ですか?」

 と問い返してしまった。

 競馬予想の神様と言われた評論家の故・大川慶次郎氏でさえ,生前,競馬で三億円稼いだが,馬券に使ったお金は四億円,トータルでは一億円負けたと発言していたらしい。

 競馬はその売り上げの約25パーセントがJRAによって控除され,残りの約75パーセントだけが払戻金となる。つまり,統計的には買いつづければ負ける可能性が非常に高い。

 また,原則として強い馬,条件のいい馬が勝つ可能性が高いはずだが,レースの結果には天候,馬の体調その他偶然の要素が多分に影響するうえ,強い馬は人気が高くなるのであたってもオッズの影響で払戻金は少なくなる。

 競馬は長い歴史のある娯楽,スポーツであり,国民の人気が高く,スポーツ新聞やテレビで見かける専門の評論家も多い。

 それでも,競馬の払戻金で生計を立てているという人は聞いたことがなかった。

 だからこそ,私は,藤原さんの言葉を聞いて,ウソだと思ってしまった。税金云々の前に,トータルでしかも五年間も儲かりつづけて,純利益の累計が一億円以上なんて,そんな夢のような話があるわけない,と思ったわけだ。

 しかし,藤原さんの話をくわしく聞いてみると,とてもハッタリとは思えない。

 過大な課税を通告されて,相当とまどっているようすはあるものの,自分で作られた簡単な資料を元に淡々と事実関係を説明する姿は,あくまで真剣だった。

 

3 健全な常識のために

 藤原さんの説明による競馬の払戻金の成績については,毎年黒字であり,5年間の差し引きプラスの合計は,約1億5500万円である。

 これだけでもすごいことだが,私の驚きは,競馬で継続的に利益を上げているということだけではなかった。

 実際に儲かった1億5500万円の約五倍に相当する6億数千万円もの税金を支払え,というまったく理不尽なことを国税局が言ってきている。これも,「まさか,そんな非常識な」との思いで,最初は信じられなかった。

 国税局が所得金額と税額を計算した内容では,所得金額の合計は約17億円であるが,後述するように,所得税法上,一時所得は二分の一に計算されるという優遇措置があるので,実際には,国税当局はこの二倍の約34億円の収入が藤原さんにあったと認定していることになる。そして所得税額の合計は約6億8千万円であり,藤原さんが実際に手にした利益の約5倍である。

 これは,国税局がはずれ馬券をいっさい経費として認めていないからだ。

 馬券の払戻金に税金がかかるのか,かかるとして必要経費はどこまで認められるべきなのか,という点については,あとでくわしく説明するが,ここでは結論としての私の考えを述べておく。

 馬券の払戻金は,一般的には,たまたま予想した馬券が的中したことでお金が儲かるものであって,偶然の所得だ。これを所得税法で「一時所得」という。

 しかし,藤原さんのように,みずから予想のシステムを構築して,継続的に多数の馬券購入をおこない,その総額もきわめて多額にのぼって,実際に儲けているという活動は,偶然性が少なくなり,かぎりなく投資に近づく。このような取引は,FX取引や先物取引と同じ「雑所得」にあたるというべきだ。そして,「雑所得」に該当するとすれば,一年間で同種の取引で得たお金と費やしたお金の差額が儲けとなり,その儲けに税金がかかるはずである。藤原さんの場合,儲けはあくまで一億五千五百万円であって,そのなかから税金が取られるべきだ。

 なお,他に考えられるものとして,「事業所得」という分類がある。これは,馬券の購入が事業,すなわち社会通念上も仕事といえるようなものといえるなら,事業所得として,はずれ馬券の購入費もその事業に必要な経費だったということになる。

 ただ,そういう法律の解釈論よりも,まず,健全な常識こそが大事だ。

 そもそも1億5500万円の利益しかないのに,6億8000万円もの税金が払えるわけがない。しかも,ふつうのサラリーマンには一生かかっても払えないお金だ(われわれふつうの弁護士にとっても無理だ)。このままだと生活は破(は)綻(たん)して,藤原さんやその家族が路頭に迷ってしまう。

 私は,藤原さんから話を聞いて,国税局がしようとしている処置はあまりにも非常識だと思い,なんとかしなければとの思いから,事件を受任することにした。

 こうして,競馬の払戻金にたいする税金をめぐる,国税庁と検察庁を相手とする長い闘いが開始されたのだ。

                                     つづく

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